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京都府 吉川敦
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うつつ
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うつつ その2
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1997-06-07
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10KB
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89 lines
☆
「嫌な夢を見た時はすぐに人に話すがいい。良い夢を見た時は誰にも喋っちゃいけないよ」
これは日本で古くから伝わる迷信のひとつだ。嫌な夢が正夢にならぬよう他人に喋り、逆夢にするという意味だ。猫が顔を洗うと次の日は雨だとか、夕方、つばめが低く飛んでいると雨だとか、は科学的に証明されているらしいが、それじゃこれはどうなんだろう?
その前に、夢とは何物なのか、定義しなくてはならない。だが、これは難しい問題だ。考えれば考えるほど、思考の深みに落ちてしまう。フロイトやユングに代表される心理学者たちはそれぞれ夢についての論文を残しているが、どれも確証に欠けている。もうひとつ一歩踏み込むことのできない思考の壁があるような気すらする。人間には夢の本質を考えることはできないのかもしれない、と思えるのだ。
正夢と逆夢。そして夢の正体。
それを信じるも、信じないも、それはあなたの勝手だ。
☆
暗闇の真中にまた丸い光。ヘッドライト?違う。もっと明るい。太陽だ。太陽がふたつある。ふたつ仲良く並んでいる。ここは何処?網膜がハレーションを起こし、風景は真っ白で何も見えない。卸したてのキャンパスを目の前に押しつけられているような感じ。僕はそれが晴れるのを待つ。
開けた情景は遊園地。見たこともない遊園地の入口。雲ひとつない晴天を半円に切る天気雨の虹のようなアーチの下に、僕は立っていた。
ここは何処なんだ?
風船や綿菓子やポップコーンの屋台。案内係のブース。警備員の詰所。迷子の預かり所。噴水のある大きな池の周りを取り囲むようにそれらは建っていた。水面には黒いスワンとぜんまい仕掛けのような家鴨。通路ではビラをまくピエロとぬいぐるみを被った行列が行進している。僕の前を甲高い小太鼓やラッパ、調律の狂ったアコーディオンが華やかなマーチを奏で、通り過ぎていく。色豊かで雑多な人種。踊る太陽の光の下、異国の言葉が乱れ飛んでいた。
公園の出口で僕は事故にあったはず ・・・・・・ と、すると、これは夢か?病院のベッドの上かどこかで、僕は夢を見ているに違いない。
突如、言い知れぬ圧迫感が心臓を襲った。喧騒の中、僕は左胸を強く押さえる。圧迫感は精神的なもの。現状の把握に自信のない仄かな不安への警告。
僕は雑踏をかきわけるように進んだ。
でたらめに歩いた先は人工庭園だった。迷路のような小道に緑の匂いがたちこめている。英国紳士風の暖かい風が僕の頬を撫でていく。入口からそんなに離れていないのに、この辺りは静かだ。落ち着かせてくれる。小道を歩く人も慎ましやかな二、三のカップルだけ。
僕は庭園を奥へと進んだ。
花時計。造りかけの花時計が見えた。未だ長針も短針もない花時計が放射状の小道を従え、真ん中に偉そうに居座っている。その近くには老人がひとり。芝生の片隅に土を掘り起こした一角に、老人は背を向け、腰を屈め、熱心に作業をしている。
僕は芝生の上に座った。
黄土色の土がついたオーバーオールの老人。腰にぶらさげた魚篭のようなバスケットからひとつひとつ吟味するように形のよい種子を嗄れた手で選んでいた。選ばれた種子は老人の太い人差し指によって作られた地面の穴に一見無造作に放りこまれ、埋められる。機敏とは言えないにしても、長年培われてきたらしいある一定のリズムに従った一連の動作。まったく無駄がない。
僕はうっとりするようにそれをしばらく眺めていた。
「何を植えているのか、分かるかい?」
老人はリズムを崩さず、腰を屈めたまま言う。
話し掛けられるとは思っていない僕は一瞬どきっとし、反射的に謝った。
「すみません。邪魔でしたら、向こうにいきます」
「いや、いいよ。気にせんでも。ちょうど休憩しようと思とったとこじゃから」
老人は腰を二、三度叩き、バスケットに蓋をし、僕の隣に腰をおろした。額には控えめな汗の玉。老人は胸ポケットからくしゃくしゃになった煙草の箱を取り出す。ニコチンの固まりのような両切り煙草。火は僕が付けてあげる。
「何か分かるかい?」
「いえ ・・・・・・ 」
僕は草花音痴。
「これはな ・・・・・・ 」
老人は腰のバスケットをぽんと一回叩く。
「人間の種じゃ」
老人は旨そうに煙を空に向かって吐いた。雲ひとつない空。ほのぼのとした双子のおてんと様。怪訝そうな顔をした僕をちらっと覗き見て、老人は空を見たまま眩しそうな目で喋り始める。
「今日中に百人分、植えなきゃならん。昨日は腰が痛みよって、さぼってしまったからのう。あと六十六人じゃ。この時期は注文が多くて、忙しいわい。まぁ、収穫期に比べれば屁みたいなもんじゃがのう」
老人はまた煙を吐き出す。煙を肺に入れてからの時間が長い。肺の中で煙が壊れた蓄音機のように回っているのかもしれない。
目は真っすぐ畑に向けられていた。頭がおかしいようには見えない。白目が濁ってはいるが、力強い眼差しは大地と生きる人達のそれと同じ輝き。
「あんた、何処の遊園地の生まれじゃ?」
狐につままれたままの僕は答えに詰まる。
「そうか、最近の若い者は生まれも分からん輩が多いからのう」
老人は勝手に頷き、勝手に嘆いた。
「だが、あんたは薄曇りの日に植えられたな。わしは長年この仕事をやっとるから種を植えた日の天気だけは分かるんじゃ。あんたは薄曇りだな、絶対。前の日か次の日は雨じゃったろう。種を植える日は神様が定めなさった日と決まっとるから、どうしてもその日の天気が顔に出よる。雨の日には雨の顔、晴の日には晴の顔、曇の日には曇の顔。それが定めじゃ。神様が決めなさった運命なんじゃ。普通の人には分からんかもしれんが、わしには見える。不思議なもんじゃが、そうだ。一度、嵐の日に植えたことがある。かなり昔のことじゃ。ほとんどが腐ったり流れたりして駄目になってしもうたが、ひとつだけ生き残ったものがおってな。今ではそいつは何とかいう政治家の偉いさんじゃ」
老人の餅を喉に詰まらせたような笑い声。僕も愛想程度に頬の筋肉を弛ませる。
老人は笑うのを止めた。
「わしは物心ついたときからこの仕事をしておる。爺さんの手伝いをしておった。これは天から与えられた尊き仕事じゃ。誇りを持っとる。収穫期に、背丈ほどの高さの潅木にぶらさがった赤子を見ると、今でも震えが走る。感動するんじゃ。毎年、もう見飽きた光景のはずなのにな ・・・・・・ 」
老人は視線を下に落とした。沈黙。視線の先には蟻の行進。小さな糖の欠片を背負った蟻の黒い列。途切れることなく緑の中に消えている。芝生は全身で太陽を浴びていた。
指にはさんだ両切り煙草が火傷しそうに短くなると、老人は立ち上がった。芝生の上で煙草を揉み消す。驚いた蟻は列を乱し、三々五々に逃げだしている。
「話の相手してくれて、ありがとう。ここには普通の人はめったに来んからのう。まだ、散歩するんじゃったら、気をつけなさい」
老人は優しそうに微笑んだ。老人は再び、作業にかかる。
やがて、僕も立ち上がる。老人はもう僕なんか目に入っていず、黙々と種子を植えていた。そして人工庭園のさらに奥へ。目的はない。目標もない。僕には何も分からない。ただ、じっとしていても仕方がないような予感がしただけだ。さっきの賑やかな場所に戻るのもひとつの手だが、僕の足は自然と奥へと向かった。
途中で庭園は切れ、小さな林になった。アルコール中毒患者のお絵描きのような自然林が続いている。まだ、手入れがされていないのだろう。取り巻く空気までもがひんやりと湿った感じがする。
僕はさらに進んだ。そして行き止まり。遊園地と外部を隔てる塀に辿りついた。
太い鉄の棒で作られた背の高い塀。ゆうに五十メートルはあるだろう。ただの遊園地の塀にしては頑丈すぎるように思う。それはまるで難攻不落の刑務所の外壁みたいだ。
僕の真上には見張り台があった。あまり高くない場所だ。ジャスパー・ジョーンズみたいな迷彩服の兵士が機関銃の台尻を抱え、パイプ椅子に座っている。歳は明らかにティーンエイジャー。やる気はなさそうだ。下手くそな鼻歌混じりに真っ赤な編みあげの軍靴でリズムを取っていた。ドラム缶を木の棒で叩くような音が辺りに響いている。刈り上げた耳元にはウォーキング・カセットのイヤホンの線。まったくやる気がなさそう。
!
いきなり、何の前触れもなく閃光が走った。空をつんざく爆発音。僕の鼓膜の右から左へ、左から右へ、一気に突き抜けていく。驚く暇もない。だが、閃光はほんの一瞬。僕の網膜に残像だけが残る。何も見えない。何も聞こえない。ただ、右足が熱いだけ。少し遅れて痛みはやってくる。
塀の向こう側からキャタピラの動く音。まだ遠そうだが、確実に近付いてるようだ。残像が薄くなり視界が晴れてくると、それは映像となって遠くに浮かぶ。砂煙の彼方にミニカーのような艶消しの黒い戦車。もう、鉄板のリズムは聞こえない。兵士の座っていた見張り台はピサの斜塔。兵士の残骸は土の上にミンチとなって散らばっていた。
悪夢だ。僕は地面の上に倒れたまま、そう思った。
庭園の方から二人の兵士が匍匐の姿勢でこちらにやってくる。ひとりは背がひょろ長くゴッホのような迷彩服とひまわり色の機銃を、もうひとりはぽっちゃり太くスーラのような迷彩服とパステル色の機銃を抱えている。二人の歩みは遅い。亀より鈍い。どうやら服の汚れを気にしている様子。
「大丈夫か!」
背の高い方が僕に向かって叫んだ。
「大丈夫だ ・・・・・・ 」
痛みを堪え、ようやくそれだけを口にする僕。ジーンズの右足の膝から下が赤黒く湿っていた。それは痛みとともに確実に広がっている。
クソッ!痛みのある夢なんて初めてだ。ちょっと、リアル過ぎやしないか ・・・・・・ 。
二人が僕の傍にやってきた。
「こいつはひどいや!」
それは太い方。近くでこいつの迷彩服を見ていると色盲の検査をさせられている気分がする。
「早く病院に連れていかなくちゃな」
お次が背の高い方。いやに冷静な言い方をする。
「奴らひどいな。こんなことするなんて。外の奴らはおとなしく外にいろっていうんだ!落後者のくせによう」「『我々は君達と同じように遊園地で生まれた。我々には遊園地内で生活を営む権利がある。自由がある。我々は君達と同じ種から生まれた同輩である』だろ。落後者が、聞いて呆れるぜ!」
「そうだよな!落後者は落後者同士、仲良く外の世界にいろっていうんだ。生かしてもらっているだけでも有り難いと思えよな」
そこで二人は同時に頷き合った。
僕は急に痛みがひどくなり、声にならない声のような声を漏らした。赤く熱した鉄の鋳型を押さえ付けられているような激痛だ。萎縮していた神経が復旧したのかもしれない。心臓の波打つリズムに合わせてダルセーニョ。痛みはさらに高まっていく。
でも、二人には聞こえていない。僕の声も。そして、キャタピラの音も。
太い方が僕に訊ねる。大衆酒場でジョークを飛ばすような口調で。
「あんた、変わった軍服、着てるんだな。ちょっとレトロだけど、かっこいいよ。何処で買ったんだい?」
僕の服は白い無地のTシャツにブルージーンズ。Tシャツに鮮血の後染が点々と飛んでいたけれど。
背の高い方が小馬鹿にするような言い方で太い方に。
「知らないのか!これ、先月号で特集していた服じゃないか!先々週の野営のキャンプで俺と一緒に見ていたろう。もう忘れちまったのかい?」
「そうだったけ ・・・・・・ 」
!
二回目の爆撃。大地を揺らす地響き。スーラの兵士の言葉はけたたましい爆音に掻き消され語尾はぶっ飛んだ。
ゴッホの兵士は首から上が吹き飛ばされ背が低くなり、スーラの兵士は腹のところに風穴があき体重が軽くなった。二人とも傷口からはあぶくのような血が溢れ、壊れた噴水のように吹き出していた。だが、二人の両手は健在。それぞれ失われた物を求め空中を無我夢中で泳いでいる。溺れかけた亡者のように。蜘蛛の糸をつかむ罪人のように。だが、失われた物を充足することはできなかった。二対の両手はほとんど同時にねじが切れた。ふたつの胴体は魂を失ったマリオネットのように地面につっぷす。
砂塵の向こう、戦車はれっきとした戦車に見えた。大砲の先は残された生存者、僕を狙っている。照準を定め、戦車は止まった。
そこで僕は気を失った。完全に気を失ってしまった。